2024年9月15日(日) 生徒会 早川祐希です。
2日目の金沢エリアが解放されたのでレポートとして紹介したいと思います。
能登エリアもブログにまとめてありますので、本日から遊びに行ってみてください。
■金沢城公園
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
金沢城公園の入り口です。正面の石川橋を渡っていきましょう。
なお、←を向くと兼六園の入り口となっており、隣接してますね。
金沢城公園はかなり広いので撮影するのに結構時間がかかったと先輩が言っていました。
兼六園と金沢場は隣接していますが、先に金沢城ができてから兼六園が建てられ、どちらも加賀藩主の前田家が所有していました。
石川門を↑に進み、潜り抜けると三の丸広場に到着します。
三の丸広場から←側を見てみると…
五十間長屋が見えます。武器等を保管する倉庫としての役割と非常時には城壁のとしても機能していました。
続けて 河北門 ↑に進んでみましょう。門を潜り抜けると下にさらに大きな広場が見えてきます。
はいこちら、新丸広場に到着しました。
新丸には、次々と藩の重臣の屋敷が建てられ、戦時には早くこの場で防御できるように考えられていた。しかし、藩の役所が増えてきて、重臣の数も多くなってくると、この場所だけでは狭くなり、 重臣の屋敷を次々に城外へ移した。そこで、藩ではここの空き地ができたところに細工所を設け、 甲冑、大小刀、弓矢等の修理や製造も行い、多くの細工者を集め、禄を給させた。
公園の外に長町武家屋敷跡などの古い建築が残っていますが、移転後に作られたのでしょうか。
新丸広場では上部のアイコン◀➤から、スライドショーで園内にある見どころのスポットをまとめています。
こちらの画像は加賀藩初代藩主の前田利家の像になります。
こちは玉泉院丸庭園です。
二代目藩主利長の正室玉泉院(永姫)が屋敷を構えたことがその名の由来とされ、三代目利常により作園が始められ廃藩まで歴代藩主が愛でた庭園。平成27年3月、江戸時代末期の姿をもとに再現されました。
俺は永姫が織田信長の四女だと知って驚きましたね。
利長も信長に寵愛されていたとはいえ、かつて父親の利家は織田家から追放されていたので。
鶴丸倉庫や三十間長屋などの重要文化財もスライドショーにまとめています。
鶴丸倉庫の解説を読むと、金沢城は明治以降、第二次世界大戦の終戦を迎えるまでは陸軍第九師団司令部が設置され、陸軍の拠点として使用されました。
先輩が撮影しに行った時に園内ではライトアップが行われており、昼間と違う雰囲気を感じたと。
地に行かれる際には夜の観光もお勧めいたします!俺も機会があれば行きたいな。
■兼六園
特別名勝兼六園は、岡山の後楽園、水戸の偕楽園と共に「日本三名園」の一つと称される、江戸時代の代表的な林泉廻遊式庭園です。春の桜、秋の紅葉、冬の雪吊りなど四季折々の美しさを見せ、いつ訪れても素晴らしい景観を見せてくれます。「ことじ灯籠」や雪吊りされた「唐崎の松」など、テレビや雑誌で目にしたことのない方はいないでしょう。園内には他にも美しく興味深い名勝がいっぱいです。歴史的な観光地をたくさん要する「観光都市金沢」のまさに中心が兼六園であり、一度ならず、二度三度と訪れてみたくなる名園です。
では兼六園の中を散策していきましょう!入口から↑に進みます。
だんだん庭が見えてきました。→を向いてそのまま↑に行きます。
ここはそのまま↑に進むと徽軫灯籠(ことじとうろう)、←を向くと展望台が見えます。
↗に進むと内橋亭にたどり着きます。↑に進んでみましょう。
はい。兼六園で一番の撮影スポットです。
江戸時代、この灯籠の脚の長さは左右で同じでしたが、明治時代に原因ははっきりしていませんが片方の脚が折れてしまいました。その後、短い方の脚を石の上にのせたら、その絶妙なアンバランスさが、日本人が好む、“破調(はちょう)の美”に通じて、兼六園を象徴する景観に。
よくよく見ると右足が岩に乗っていますね…
先に進んでみましょう。
ここから↗を向くと、唐崎松の📷があります。唐崎松は13代藩主・前田斉泰(なりやす)が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松です。
橋を渡りましょう。 渡ると→ には霞ヶ関が見えます。
反対側の←側には巣ごもりの松が見えます。
霞ヶ関と一緒に蓬莱島が見えます。
蓬莱島は永劫の繁栄を願い、不老長寿をあらわしています。
先に進むと突き当りを→方向に向いて進みましょう。
内橋亭につきました。
かつて蓮池庭内にあった四亭の一つで、霞ヶ池の西南岸に設けられた水亭。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874)、現在の場所に移築しました。栄螺山のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。
水上で優雅なひと時を過ごせるのでスポットです。
内橋亭からそのまま↑に向かうと親知らずを経由して琴柱灯篭の手前まで戻ります。
霞ヶ関をぐるりと一周をするイメージになります。
直進すると、先ほどのことじとうろう手前にたどり着きました。
ゲーム内では霞が池を一周するコースになっています。
■東茶屋町
金沢文化を代表する茶屋街のひとつ。和の趣を感じるフォトジェニックな写真を撮影するには最適なスポットです。着物をレンタルした女性観光客が伝統的な町並みをバックに撮影している姿が多く見られます。また、格式ある割烹や、お洒落な町家カフェ、伝統工芸品を扱うセレクトショップなどが立ち並び、金沢らしいグルメやショッピングが楽しめます。作家・五木寛之作品『朱鷺の墓』の舞台としても有名。外国人観光客も多く、情緒溢れる古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
200年前の東茶屋街です。一番町・二番町・三番町のなかで、一番町と三番町がゲームで歩けるようになっています。
それではご紹介していきます。このまま↑に進み、→を向くと一番町が見えてきます。
また。看板にある📷から東茶屋町の解説をご覧ください。
では一番町を歩いていきましょう。やはり、メインストリートなのでお店が多いですね。
特に東茶屋町は着物で歩きたくなる雰囲気がありますね。
少し歩くと左手に国指定重要文化財であるお茶屋「志摩」が見えてきます。
文政3年(1820)に建てられたままに残るお茶屋の建物で、二階を客間とし遊芸を主体としたお茶屋特有の繊細で優美な造りとなっており、国の重要文化財に指定されています。
さらに進むと、右手に黒い建物が見えてきます。
懐華樓は築200年の金沢で一番大きな茶屋建築で、市の指定保存建造物です。江戸時代後期の茶屋街建築様式を伝える建物として歴史的価値が非常に高いと云われています。
さらに上に進んでいくと、十字路があります。↗の方向を見てみると茶色の建物が見えてきます。
こちらの建物「九連波」は、伝統工業加賀友禅の展示・小物ギャラリー・及び茶室となっています。
そのまま進み続けると突き当りにたどり着きます。
左に進むと二番町に続いていますが、帰路は三番町になりますので→に進みましょう。
路地裏を進んでいくと三番町になります。ここにもお店がちょこちょこ見えてきます。
ひがしと主計町のお茶屋は「一見さんお断り」のお店が多いので、敷居が高いイメージがありますね。
デートスポットとして人気はありますが、計画を組むにはすこしレベルが高いですね。
このまま進むとスタート地点に戻ります。
入口に戻ってきました。
いやあ、街中の雰囲気がとてもいいのですが、地図を見てみるとさらに東側には少し高台にお寺があったり、周りに神社があったりとロケ地として抜群の場所だなーと思いました。
是非リアルでもお茶屋の中に入ってみたいですね!
いってらっしゃい!