2023年9月10日(日) 生徒会 早川祐希です。
最後の広島エリアについて紹介していきたいと思います…
※修学旅行先へはバナーから移動しましょう
■呉
呉 海上自衛隊
呉地方隊は、1954年(昭和29年)7月1日、海上自衛隊の発足に伴い、5番目の地方隊として誕生しました。主な任務は、担当警備区域内の警備及び災害派遣、自衛艦隊等の正面部隊に対する後方支援、機雷・爆発性危険物の除去及び処理、民生協力等です。
呉地方隊の警備区域は、和歌山県から宮崎県に至る区域の太平洋及び瀬戸内海を含む沿岸海域であり、海上交通の動脈である東の紀伊水道、西の豊後水道及び四国沖が主要な作戦海域となります。四国沖約1,800kmにある東京都所属の「沖ノ鳥島」も呉警備区になります。
マップの奥に進むと護衛艦をご覧いただけます。
ゲーム内には輸送艦おおすみ」、「護衛艦いなづま」、「補給艦とわだ」、「護衛艦あぶくま」が登場しています。
呉も戦時にひどい被害を受けました。大空襲の他にもこの青い海の底に機雷が敷かれ、軍港である呉が機能しなくなりました。戦後、たくさんの機雷によって恐怖の海と化した日本の海を、危険を顧みず機雷の除去に向かった人々の活動から、掃海のあゆみがはじまります。↓
鉄のくじら館
海上鉄のくじら館(自衛隊呉史料館)は、海上自衛隊佐世保史料館の水上艦、鹿屋航空基地史料館の航空機と並んで、潜水艦と掃海を展示する史料館です。
こちらは、潜水艦あきしお内です。全長76.2m、重さ2,250t、1986年から2004年まで、実際に海上自衛隊で使用されていたものです。あたり一面がケーブルと装置が積載されていて圧巻です。
館内の三階には、これまでの潜水艦の活躍をご覧いただけます。KNOW YOUR BOAT!
艦乗りは乗艦する潜水艦について、区画はもちろん全ての配管の配置やバルブの位置、このバルブを操作するとどうなるか、まで徹底的に覚えるそうです。一回の航路は大体70日間だといわれますが…ご飯がおいしければ耐えられると思います
二階は掃海艇の活躍についてご覧いただけます。掃海とは、水中、水底の機雷を発見、処分し、航路の安全確保を任務とする保守作業のことです。
ペルシャ湾での掃海活動「湾岸の夜明け作戦」に従事した海上自衛隊の姿についても解説があります。ご覧ください。
大和ミュージアム
大和ミュージアムは、戦艦「大和」を建造した軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄え、戦後は、世界最大のタンカーを数多く建造する明治以降の「呉の歴史」と造船・製鋼を始めとした各種の「科学技術」を紹介する博物館です。
大和は日本海軍が建造した世界最大の戦艦です。 全長263メートル、世界最大の46センチ砲は、1発で戦艦1隻を沈める威力があるとされていました。しかしながら、大和が完成する頃には、海戦の主役は戦艦から空母機に代わってしまってたのです。
1945年4月7日に沈没し、鹿児島本土の南方にいまでも眠っています。
広島市・平和記念公園
平和記念公園は、旧太田川(本川)が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置し、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園です。
この場所は、江戸時代から昭和初期に至るまで広島市の中心的な繁華街でしたが、昭和20年(1945年)8月6日に人類史上初めて落とされた一発の原子爆弾により、一瞬のうちに破壊されました。
被爆後、昭和24年(1949年)8月6日に公布された「広島平和記念都市建設法」に基づき、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、昭和25年(1950年)から平和記念公園及び施設の建設が進められ、昭和30年(1955年)に完成しました。
公園内には、原爆ドーム、広島平和記念資料館、平和の願いを込めて設置された数々のモニュメント、被爆したアオギリなどがあります。
こちらの総合案内所から各スポットと解説をご覧ください。当時の様子を追体験することができます。
総合案内所には表示されていませんが、こちら原爆ドーム手前の📷にも原爆ドームの解説があります。俺は見学後、「きけわだつみのこえ」を手に取り読んでみることにします。
……
宮島・厳島
宮島は、太古からその島の姿と、弥山[みせん]を主峰とする山々と、昼なお暗い原始林に覆われた山容に霊気が感じられたところから、周辺の人々の自然崇拝の対象となっていました。
嚴島神社は、社伝によれば593年に佐伯鞍職によって創建された神社で、806年には僧空海(弘法大師)によって弥山に御堂が建てられ、百日間の修法が行われました。この際に使用された火が現在も「消えずの火」として弥山霊火堂で燃え続けています。
1146年に平清盛が嚴島神社を篤く信仰し、社殿を模して建設し、法華経を奉納するなど都の文化を宮島にもたらしました。その後、平家一門や後白河上皇、高倉上皇、建春門院、建礼門院、中宮徳子など多くの皇族や貴族が参拝し、豊臣秀吉や鎌倉幕府、室町幕府、大内氏、毛利氏なども厳島神社を信仰し、庇護したとされています。
鎌倉時代末に人々が宮島に住み始め、戦国時代に大内義隆と毛利元就の間で厳島合戦が起き、毛利氏が中国地方の大名として宮島を支配しました。このように、厳島神社は歴史的に多くの武将、僧侶、皇族、貴族、大名などに信仰され、文化や宗教の中心地として栄えた歴史があります。
それでは宮島に行ってみましょう。宮島口からフェリーに乗船してください。
到着しました。ここから↑に直進し、石の鳥居を超えていきましょう。
道中にはシカがいました。シカは古くから大切に扱われ、住民による餌やりも行われていました。うーん、現在では食害によって社会問題にまで発展しているようです…
御笠浜に到着です。ここをまっすぐ進むと大鳥居をご覧いただけ、左に進むと厳島神社に進みます。
ここからの眺めは満潮時の御笠浜なの水面ができていますが、干潮時には浜辺を歩いて大鳥居に近づいたり、大鳥居をくぐることもできます!
はい。厳島神社に到着しました。ここから先は、
海を眺めながら美しい回廊を歩くことができます。赤と海のコントラストがいいですね~
各スポットに、厳島神社の紹介がございますのでご覧ください。
やはり、日本三大三景の一つですね。景色は幻想的です。俺的には今回の瀬戸内の修学旅行は、レトロな岡山からブラジルまで楽しみ、広島では強い想いと日本の歴史への興味を感じました。
温暖で青い瀬戸内で喜怒哀楽に飲み込まれた修学旅行です。
それでは皆さんも良き思い出を作ってみてはどうでしょう。行ってらっしゃい!