2022年6月04日(土) 生徒会 早川祐希です。
本日より、檜原村エリア 数馬分校記念館 へ行けるようになりましたので、ご紹介します。
画面横のサイドバナーから移動しましょう
画面横にある、この画像クリックしましょう。
※こちらの画像が表示されないときは画像(バナー)右下をクリックすることでめくることができます。
■入口まで
↑ に まっすぐ進み…
ここで ← を向くと…
記念館の中に入ることができます。
※実際に来場する場合には入口が異なります。
■館内 一階
数馬分校は1874年にお寺を仮校舎として使ったところから始まり、そこから何度も校舎を改築・拡張して今の姿に至りました。館内は1999年まで檜原村最後の分校として残っていましたが、125年の歴史を終えて閉校となりました。
壁際に写真や当時の生徒さんの作品が多数飾られています。
●手前の教室
●応接室
●奥の教室
※ここで当時の数馬分校の資料を紹介します
「楽しい学校」とは。
子供が楽しい学校。教職員はそのために汗をかき、手間暇をかける。その結果、子供たちが伸びてくる。その伸びが楽しみとなる教職員。全校遠足で初めて知った故郷の景観。山道で出会った面白い草や虫。そういう楽しさと、作文が上手になる、計算が正確になるという喜び。その両方があって、バランスの取れた成長が持続できる。
■館内 二階
天井に大きなカマキリの作品があります(汗)
二階には地域の昔ながらの展示物も一緒に置かれています。
左手前には…
●手前の教室
檜原村の冬はすごく寒いです。当時の先生は遠くから通勤していた人も多く、学校に到着すると一時間くらい暖をとらないと仕事にかかれなかったといわれています。
●奥の教室
これは蚕から繭を採るための農具ですね。檜原村も生糸の生産が昔行われていたました。
●消防器具
昔は、腕用ポンプ車が使われていました。人力でポンプを引っ張る必要があるので、かなりの労力が必要ですね…
■校庭
運動会の時は地域の皆さんが集まって、祭りのようだったと言われています。
1999年に檜原小学校に統合されて、閉校しました。125年もの歴史がある中で、地域住民や多くの生徒たちが名残惜しく感じていたでしょう…
中でもある先生は、
そんな数馬の学校も廃校と聞いた。なぜ。少人数、小規模校だからか。歴史のある落ち着いた学校だったのに…
都会の大きな学校にも、それなりの良さはある。それぞれ自分が足りないことを考え、補おうとするのは大切だ。
この頃、何もかも同じであること、統一的が是とされるようだ。日本各地でローカル色は薄められ、同じ色に染められつつある。本来、それぞれの土地には、その自然や住む人々の肌合や息づかいがあったはず。ところが、いま日本中どこでも同じ顔して同じリズムで歩いているようだ。また一つ消えてゆく。
確かに経済的な効率だけを考えれば、数馬のような学校は不合理となろう。しかし、教育という人が人に働きかける営みには、効率性では割り切れない何かがある。
だが、価値観は時の流れとともに変化する。やがていつか、ローカルであることの大切さが尊重されるとき、数馬の学校は復活する。だから廃校となって終わりと思うより、これから持つ永い歴史の一コマと考えたい。数馬学校の時代から始まりにかけ、六年間をかかわったものとして、そんな想いで一杯になる。
と資料にて語っています。
確かに大人数の一般的な学校と、数馬のような少人数の学校では教育が違うのでしょう。少人数制では、生徒と先生の距離感が近いので、より質の高い授業を受けることができますね。
最近、教員の学校に対するストレスも社会問題化されてます。その観点からみて、数馬には解決に向けたヒントがあるかもしれません。
今は記念館となりましたが、面影だけでも長く残ってほしいものです。
以上、数馬分校記念館のご紹介でした。
ゲーム内でも所々に解説のPLAYボタンが入っています。
是非行ってみてください。それでは!